Attisan’s blog

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【昭和時代】ノスタルジーなお店

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【昭和時代】ノスタルジーなお店

令和になって、細々と残っているところもありますが、
昭和時代に、たくさんあって、今ではあまり見かけない
ノスタルジーなお店についてお話します。

今では、ネット通販などジャンルを問わず、様々な商品が
24時間、手に入る時代ですが、通販がまだ少なかった
昭和時代にはどんなお店がたくさんあったのでしょうか?

昔のお店を知ることで、今の暮らしをさらに楽しくする
ヒントとなると思います。

今でも営業していることころもあるので、調べて訪れて
見るのも楽しいかもしれません。昭和時代のお店の店主は、
苗字でよばれずに、お店にさんをつけて呼んでいました。

ここでも敬称にさんをつけてます。


金物屋さん

金属製の器具や道具を売っているお店です。鍋や釜、包丁、
やかん、のこぎり、はりがねや釘や大工道具、ほうきや
ちりとりなどの掃除用具など、今でいうところの
ホームセンターみたいなお店でした。

履物屋さん

今でいうシューズショップですが、下駄や雪駄、かんじき
や足袋、草履などもあり、靴の修理もしてくれてました。
足袋は、足のサイズに合わせてオーダーメイドで作って
くれました。

布団屋さん

昭和時代には、今ほどベッドが普及していなかったので。
布団屋さんもたくさんありました。古くなった、座布団や
布団を5年くらいごとに打ち直す(リフォーム)をして
くれて年末に打ち直してもらい新年を迎えていました。

今では、羽毛布団が主流ですが、昭和時代は木綿布団が
主流で使っていると、ぺったんこになって、せんべい布団
などと形容されていました。

畳屋

今では、フローリングの部屋が増えて、畳を使った和室が
少なくなり、畳屋さんも減ってしまいした。

畳屋さんの仕事は、畳の裏表を変えたり表替えといって
表面を取り換えたりしていました。替えたばかりの畳は
い草の良い香りがしていました。
掃除をするときは、掃除機ではなく畳帚でゴミを掃きました。


駄菓子屋

今は、コンビニやスーパーで見かける駄菓子、昭和時代には
専門店の駄菓子屋さんがたくさんあり子供たちの社交場
なっていました。

お店には、必ずと言っていいほど、おばあさんがいて、
いつも笑顔で子供たちを迎えてくれて、時には、しかったり
励ましたりしてくれました。

当時は、100円もあれば、たくさんの駄菓子を買うことが
出来ましたが、合成着色料や保存料など体に良くないとの
理由から親に反対される家庭もあり、こっそりと食べて
いた子供もいました。

駄菓子屋さんの不思議に小学生の頃にお店番をしていた
おばあさんが、高校生になっていってみるとおばあさんの
ままなんていうのが話題になっていました。


おもちゃ屋さん

昔の子供が大好きだったおもちゃ屋さん、今では、激減して
行ったことがない人もたくさんいると思います。

町のおもちゃ屋さんのメイン商品は、がちゃがちゃや100円
以下で買える商品が多く売っていて、常に小学生が出入り
していました。

また、男の子には、車や戦車、飛行機などのプラモデル
女の子には、縄跳びやリリアン、着せ替え人形などが
人気でした。

たばこ屋さん

たばこ専門店で、駄菓子屋同様におばあさんがお店番をして
いたことが多かったです。当時はタスポみたいなものもなく、
子供大人のタバコをお使いで買いに行って、おばあさんも
売っくれました。子供はお使いでタバコのお釣りをお駄賃
としてもらって駄菓子屋さんなので駄菓子を買っていました。


風呂屋さん

昭和時代の家のお風呂は、小さいものが多く、膝を曲げて
入らなければならなかったので、大きなお風呂のある銭湯
は、いつも賑わっていて今よりたくさんありました。

子供のころは、銭湯にいくと、あがった後にフルーツ牛乳
が飲めるので楽しみでした。


まとめ

今では、ネット通販という便利なショップがありますが、
値引きの交渉などは、考えません。

昔のお店の良いところは、お店の人と交渉して値段を
値引いてもらったり、おまけをつけてもらったりが可能
できた。

僕も、お店の人に「勉強するよ」と言われた時に、何を
勉強するんだろうと思いましたが、帰って調べてみると
一生懸命に励むという意味で、値段を安くするという
意味。それからは、お店で良く勉強してよなどと言って
いました。

今でも、そのようなお店に行くと、ついつい勉強して
くれますか?と言ってお店の人との会話を楽しみます。

(本当に値段を引いてほしいというのもありますが、
お店の人とのコミュニケーションの言葉として使います。)

最後までご覧いただきありがとうございました。