Attisan’s blog

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昭和時代の生活(バブル時代)

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昭和時代の生活


バブル期ってどんな時代?

バブル期は良かったなあ」なんて会社の上司やお父さん、お母さんが言ってるのを
一度くらいは聞いたことがありますよね。それで、訪ねると、何もかも華やかで良い
時代だったんだよ。くらいに言われモヤモヤしますね。調べるといろいろ出てきます
が、実際にバブル期に青春を過ごした僕がどんな時代であったかを少しだけお話しま
す。一言で言えば、「華やかで活気のある時代でした。


はじめに

バブル期の正式な期間は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)
2月まで
の51か月間でこの期間の景気がかつてないほどの盛況ぶりで、
水の中から泡が急上昇し弾ける様子に例えてバブルと呼ばれました。

 

当時の就活

当時の就職活動は、今と違って超売り手市場、就職先には困らず引く手あまた、
内定者には、旅行などプレゼントをして囲っていました、

就職する側も、受ければほぼ内定がもらえる状態で、好きな業種を選ぶことが
出来ました。僕が大学の時には、金融関連、建設関連、証券、不動産、などが
人気で、これらの会社に入れば一生安泰だなんて言われていました、


高級ブランド志向

円高ドル安の影響で、海外の高級ブランドや宝飾品、外国車が飛ぶように売れ
ていました。また、当時の大学生は、車を持つのがステータス、僕も、「日産
スカイライン」に乗っていました。その当時の、流行語に、アッシー君
(送り迎えしてくれる男子)メッシー君(ご飯を奢ってくれる男子)ミツグ君
(プレゼントを貢いでくれる男子)などの言葉があり、その当時の女子は少な
からずその恩恵を受けたと思います。

今は割り勘が当たり前のようですが、当時は、基本的に男性が払うものと誰もが
思っていました。なので、昭和生まれの方と一緒にご飯など食べると払って
もらえる可能性はかなり高いですよ。


特徴的なヘアスタイル

当時の男子のヘアスタイルは、、「テクノカット(もみ上げ部分をカット)」
、「リマールカット」(外国歌手のリマールさんから)女子のヘアスタイルは、
聖子ちゃんカット(歌手の松田聖子さんから)、「ワンレングス(段のない
全部同じ長さの髪型)」などが主流で、女子の眉毛も、太いのが流行りでした。


今では見ないペアルック

当時の恋人同士は、同じ服を着てデートに出かけていました。今、ペアルック
って見ませんね。たぶん着ていたら恥ずかしいんじゃないかと思います。
当時のデートのパターンは、映画、遊園地(テーマパークはディズニーが出来た
ばかり)公園、射撃場(今はない)、プールバー(お酒を飲みながらビリヤード)
ボーリングなどでした

 

ディスコ

今の若い人が知っている「クラブ」の前の名前でミラーボールやダンスフロアが
あり、大きい音量で音楽(当時の音楽を今では80sと言われてます)が流れて、
その音楽に合わせ夜通し踊りを踊ったり酒を飲んだり交流を深めていました。
当時は 24時間営業の遊び場がたくさんありましたが、風営法が改正されて
24時間営業のお店は、ほとんどなくなりました。


24時間戦えますか?

当時は、まだ「ブラック企業」という概念が乏しく、仕事も週休2日制では、
なかったので、働いている人たちは、疲れを癒すためエナジードリンクを頻繁に
飲んだりしてました。「24時間戦えますか?はエナジードリンクのキャッチフレ
ーズで」昭和生まれの人ならば良く知ったフレーズです。今、24時間働けなんて
いったら労働基準法にひっかりますね。

最近の、若い人達の中には、「昭和生まれは就職先も恵まれて、大して働かないの
に偉くなって威張っていて使えない」なんて、良く耳にしますが、当時は、残業
なんて、なんの疑問も持たず、それこそ今と違って朝から晩まで働き、終わったと
思っても、いやな上司から飲みに誘われ朝まで付き合うなんてのが当たり前、
理不尽ですが「本人の実力」よりも、それが出来ないと出世することが出来な
かったのです。そのようなことから、言われているように確かに昭和生まれには、
実力のない上司がたくさんいることは事実なのかなあ?


まとめ

バブル期は、「全体的に華やかで、活気がある」時代でした。まだまだ、お話
出来ることはたくさんありますが長くなってしまいますので、機会があれば
また載せますね。

最後までご覧いただきありがとうございました。