Attisan’s blog

「いつも笑顔で。毎日に感謝」

【昭和時代】昭和時代の給食

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【昭和時代】昭和時代の給食

今も昔も、小学生の楽しみのひとつに給食があります。
昭和の小学生はどんな給食を食べていたかをご紹介します。


昭和時代の給食の食器

昭和時代の給食の食器は、主にアルミで出来たお皿と、先割れ
スプーンで、箸で食べることは記憶ではなかったと思います。

アルミとは言え、1クラス40人くらいいたので給食当番になると
結構な重量で小学生には結構大変な作業でした。

給食当番なると、休み時間に遊ぶ時間が少なくなるので、自分の
番になると憂鬱でした。


昭和給食メニュー① 牛乳

今も、給食の飲み物のメインは牛乳です。昭和時代の牛乳は、瓶に
入っていて、紙の蓋がついていました。その蓋を集めて友達と休み
時間に重ねて指で弾いて裏返したらもらえるという遊びが流行って
いました。

また、月に何度かは、ミルメークと言われる牛乳に混ぜて飲む粉
ありバナナ味やいちご味、コーヒー味があり人気でした。

女の子が牛乳を飲む際に、男の子が笑わせてふきださせるという
ような謎の遊びが流行ったため、それ以来、先生が一緒に食べる
ようになりました。

牛乳が、今のように紙パックになったのは、昭和の終わりころで
飲み終わりに足でつぶすとパンと良い音がして割れるのでよく
割っていました。


昭和給食メニュー② 食パン

今はあまり出ていないようですが、当時は、ほぼ毎日食パンがついて
いました。食パンは、トーストされていないので、付属のバターを
先割れスプーンで塗るのですが、ポーションバターも溶けていないと
上手く塗れず食べる前にパンがボロボロになったりしました。

おかずもカレーやシチューならば、パンでも合いますが、和食や中華
のおかずにはあまり合わず、食べきれない食パンを、机の中に入れて
カビが生えてしまっていた子も当時は珍しくなかったです。


昭和給食メニュー③ コッペパン・揚げパン

月の何度か、食パンの代わりにコッペパンや揚げパンなどがありました。
コッペパンにはマーガリンとジャムがついて人気があり揚げパンも砂糖
がまぶしてあり人気でした。数が決まっているのであまりあまることが
なかったのですが、たまにあまったりすると取り合いになるくらいでした。


昭和給食メニュー④ ソフト麺

麺類は、ソフト麺と呼ばれるうどんとスパゲティをあわせたようなもので
袋から出して、ミートソースやあんかけをかけて混ぜて食べていました。
少しのびた食感でしたが当時の小学生には、カレーに次ぐ人気のメニュー
でした。袋に入っているので基本ひとり一つであまることはなくおかわりは、
かけるミートソースかあんかけで、パンにつけて食べました。


昭和給食メニュー⑤ ご飯

白いご飯や混ぜご飯などのご飯ものは、昭和51年から月に1回だけ出され
るようになりました。

毎日パンを食べていた当時、ご飯ものはかなりの人気で残すことがほとんど
なかったように思います。ご飯の時には、牛乳は合わないので、ミルメーク
やコーヒー牛乳など配慮されてました。


昭和給食メニュー⑥ おかず

おかずは、和洋中と様々でしたが、栄養を考えられて作られていたので、
焼きそばにしいたけが入っていたり、好き嫌いが多い、人参やピーマン
玉ねぎなどの野菜がふんだんに入れられていて、嫌いな子供にとっては
残さずに食べるためにかなり時間をかけて苦戦していました。

揚げ物や焼き物など、数がわかるものについては、基本的におかわりは
なく、カレーやシチューなど量が調整できるものは、おかわりがたくさん
あり、なくなると給食室まで取りにいきました。

残すことは、当時は教育上、基本的に許されず、放課後に残ってでも
食べなければならずそのことで給食が嫌いになってしまう子供もいました。


まとめ

僕は東京の小学校でしたが、地方によっては、給食も様々で海に面している
ところでは、カニが出たり、その土地の特産物が出るようでうらやましいです。

今も昔も給食は、学校生活の中では必ず毎日あるものなので印象に残るもの
です。当時は食べるだけで何も考えていませんでしたが、毎日栄養を考えて
作ってくれている方には、遅くなりましたが感謝したいと思います。

また食育という考えもなかったので、「いただきます」の意味もわからずに
言っていましたが、今では、「牛や豚、鳥などの命を頂くいただきます」と
わかり「いただきます」にも感謝を込めて食べたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。