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【昭和時代】え?携帯・スマホがない

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【昭和時代】え?携帯・スマホがない

はじめに

僕が、青春を送った「昭和時代」には、携帯・スマホという連絡手段が
ありませんでした。
今の方には、ものすごい驚きだと思いますが、それが当たり前の時代
だったので、不便ではありましたが、特に困ったと言うことはなかったです。
ではそんな、「昭和時代」はどのように連絡を取っていたんでしょう。
昭和40年代くらいからの連絡手段をお話します。

昭和40年代くらいの通信手段は家の固定電話(黒電話)

携帯・スマホがなかったころの通信手段は、主に、「家の固定電話」(黒電話)で、
家族で共有していました。電話に手作りのカバーをつけるなんてのが流行っていて
大体の家庭では、何故か、玄関先に台をおいいて設置することが多かったと思いま
す。留守番電話も電話とは別の器械でカセットテープの小さなもので録音するだけ
の機能がついたものでした。

昭和時代50年代の小・中学生の連絡

小学校や中学校のときの、友達との連絡手段は、家の固定電話を使うのに抵抗があり、
手紙を授業中に回したりなんかしてました。みんなで出かけるときなどは、いちいち
集まって話て決めてました。遊びに行く場所も、雑誌を参考に、行き方などもすべて
雑誌や本を参考にしないとでした。

また、駅には掲示板という、黒板みたいなものが設置されていて、家族や友達との
連絡手段として活躍してました。

隣近所との連絡手段は、今でも残っているところが多いですが、「回覧板」という
ものでゴミの収集の仕方やお祭りのお知らせなど

昭和時代60年代の高校生の連絡

このころになると、「プライベートな話」を家族に聞かれるのに抵抗が出てきて、
家の電話機のコードを3~5メートルにして、自分の部屋まで引き入れてましたね。
ですが、かける際は、時間を決めてかけないと、夜なんか相手の家族が出て気ま
ずい思いをすることに(汗)特にデートのお誘いなんかは公衆電話を使うことが
多かったです。(10円玉いっぱい持ってないときれちゃうですよ)

デートの場所も事前に雑誌や本で調べ、頭に入れてさりげなくエスコートしない
と嫌われちゃったり、待ち合わせ時間を間違えたり遅れたりしたら、その日の
デートは中止なんてこともチラホラ(笑)

また、今では、老若男女、全国、世界に「メール友達」が出来ますが、当時は、
「文通」というものを雑誌の文通欄に、自分の個人情報を紹介してやり取りする
ものでした。(今ではかんがえられませんね)

昭和時代最後くらいのころの大学生の連絡

ようやく、1980年に「ショルダーホン」なる戦争映画に出てくる通信兵がもって
いるような持ち運びの電話が出来ました。ですが、当時、本体だけで30万円以上、
通信料金合わせると、とても大学生が気軽にもてるアイテムではありませんでし
た。ポケットベルというピーピーなる機械はありましたが、これは会社の営業
マンに連絡するときに鳴らし、公衆電話から連絡を取るために使用されていま
した。後に、高校生の間ではやり、数字のメッセージを送れるようになったり
して進化し最終的に短いメッセージ(今でいうショートメッセージ)が送れる
までになりました。

平成に入って

平成に入り、携帯電話よりも料金が安価な簡易型携帯電話PHS(パーソナル
ハンディシステム)の頭文字をとって)が1996年発売されて、ようやく今の
ような通信手段が取れるようになりました。今では、リアルタイムに自分の
いる位置や、相手の位置なども正確にわかったり、地図ナビでどこへ行っても
迷うことがないまでに進化しました。


まとめ

昭和時代の通信手段はは、今から比べると、確かに不便なものですが、思い
返してみると微笑ましいものばかりで懐かしい思い出です。今はスマホとい
う素晴らしい通信手段があることに感謝、感謝ですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。